必要なものは不必要なもの?野望、希望、欲ではなく結局は自身

今回は必要なものは実は不必要といったタイトルです。
期待感と手の内になったものから生まれる差異

 

おはようございます。
朝5時起き、4時間睡眠サイクル
これ当たり前になれば身体は全然しんどくない

起きる時はしんどいけどねw
シャワー浴びたら目さめるだよ!

 

さて必要だとおもって得たものは
手の内になって気がつく事がある

不必要だったと

それは自分が手の内にする前は
期待感をもってこうなっていくんだろうなって
想像しているから

 

でもその期待は
期待のまま形になんかならない

 

形にするのは結局は自分自身がつくる

意思、環境(仕組み)、継続力

何かをどのようなかたちでもいいけど
手に入れたとしても結局は自分自身で

コントロール、指示、伝達、学習

しなければ得たものを最大限いかすことはできない。

 

これはなんでもそうだとおもう
もの、環境、ひと

 

本当に必要なのか?
なぜ必要なのか?
手の内にしてからどのように自分自身で生かす事ができるのか?

 

例えばMac買っても(極端な話だが、、、)
操作、昨日、学習(常に進化していくので新しい機能など学び続けなければおいてけぼりになる)
しなければPC持ってる意味ない。

 

PCでネットフリックスみるの?
PCじゃやなくていいよね?w

 

PCでインターネットだけしてるの?
PCじゃなくてよくね?w

 

PCで例えたけどなんでもそうだとおもう。

 

 

大きなもの得てわかった事。
期待感をもってたのにうまくいかない。
得たものは期待感では動かない。
結局は自分の力、能力。

有効活用できるものが本当に必要なもの
有効活用できなければ技量、能力が間に合ってない。

 

深いのか浅はかなのか
この感覚を感じてからは自分のすべきことも明確になってきたなと感じることはありますよ〜